上杉鷹山公が米沢藩の財政建て直しのために奨励した様々な産業は今なお伝統として置賜の地に根付いています。農閑期の農家の収入源として黒鴨硯が生まれたのもそんな時代背景により、以来200年近く白鷹町において戦前まで伝えられていました.。ところがその後職人も減り、途絶えることとなったのです。現在では専門家にさえ知られることのない黒鴨硯ですが、同じ白鷹町内において、幻の釜といわれた深山焼を再興した長井市の故梅村正芳氏が、陶芸のかたわら復興を試みました。深山焼を町の伝統工芸として認知させることには成功したものの、黒鴨硯に関しては残念ながら意志を引き継ぐ者がないまま他界されました。その後お弟子さんと遺族の方と話をする機会があり、彼の遺功の意義に共感し、実験的に制作することになりました。オブジェ的要素を採り入れ、硯という道具の機能にとらわれることなく独自に復活させました。
 四宝文房のひとつである硯が中国から伝えられ、その後石の和硯が作られるようになったのは平安朝の頃といわれています。江戸時代には全国各所で作硯された記録が残っています。現在国産の硯といえば、良質な石質を安定して大量に採取できる宮城県の雄勝硯を筆頭に赤間硯、鳳来寺硯、雨端硯、高田硯、などでしょうか。書家の間ではやはり本場中国の端渓硯が最高峰とされています。墨を下ろす道具としてだけみれば石質が優れたものに越したことはありません。ただ、最近では墨汁の性質が格段に向上したこともあり、書家の方でも使う機会が少なくなってきているようです。むしろ精神統一のための所作として用いられているのかもしれません。
 パソコンや携帯の普及で今や日常でも筆はおろか書く行為そのものすら機会が少なくなっています。そんな時代だからこそ、必要とされるものがあるように思えます。
 あまり堅苦しくならず、気軽に楽しめたらいいなぁという気持ちもあり、既存の形式や概念、機能性をあまり考慮せず造ってみました。硯としてだけでなく、花器として花をいけられるもの、あるいはお刺身の皿として使えるものなど、使い方も自由であっていいと思います。使って心地のいいものが理想です。

 


 
東北現代工芸展入選作  「NAGARE」
白鷹町に寄贈
 白鷹町深山地区ののどか村、伝統工芸村にある深山焼工房・つち団子に現物が数点置いてあります。
  一品もののため、全く同じカタチのものは造れません。ご要望あればお気軽にお問い合わせください。オーダーメイド応じます。
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        黒鴨硯KUROGAMO-SUZURI
 
古桜硯
(オーダーメイド)