自分にとって何ができるか。何が求められているか。以前から考えていました。生まれた家の環境から、これまでの様々な人との関わりの中で、石、そしてお墓という存在が大きかったように思います。幼少の頃よりお彼岸やお盆に限らずお墓参りをかかさない親の姿を見ていました。また、両親は無縁墓の供養に熱心でもありました。それが生活の一部であるかのように、特別なことではなかったのです。そのお墓の材料である石を彫る仕事に関わるとは、大学をでるまでは想像すらできませんでした。これまでは彫刻というカテゴリーで、石との対話という作業をしてきました。彫刻というよりは自分にとっては対話でした。そのうち人の作品の手伝いや、石屋さんの手伝い、石垣の修復など、仕事として関わるようになったのです。私にとって石は単なる素材ではありません。確かに生きている。そして何か高次元のような存在。いつしか畏敬の念、畏怖を抱くようになりました。安易な気持ちで手をつけてはいけないと。昔は永遠性の象徴として、相当の想いをのせて刻んだことでしょう。それだけの覚悟が必要なんだなと。私はできるかぎり機械工具は使いません。そうしないわけにはいかない何かを感じるからです。現在、石の産業界では私にとっては悲しいことが多々あります。人間本位に山を切り崩し、システマチックに加工され、商品として並べられる現実。そして経済の論理から、単価の安い中国産の石がどんどん無秩序に入ってきています。結果、腕のいい職人さんはいなくなりました。そして張りぼてのごとき商品が無表情に並ぶ墓地。そろそろ皆で考える時期にきているように思います。

 しばらく前から核家族化、少子高齢化社会が叫ばれてきました。様々な問題が出始めています。お墓もそのひとつです。絶家する家、お墓を放置する人々。結果、無縁墓が増え、これからも増え続けることでしょう。今現在、自分の死後の埋葬について悩んでいる方々も沢山います。近年では共同墓、集合墓、あるいは永代供養墓というものが全国的に建立されてきています。ひとつの解決策として有効だと思います。今、私が興味があるのもこれらの共同墓です。単なる集合体ではなく、コミュニティとしての役割を果たせるという意味でも、これからの時代に必要なカタチであるように思います。かつて西洋の教会は、生活と共にあり、みなが集い、ひとつの共同体としてつながっていました。日本のお寺にもそういった機能があったのでしょうが、どこかで失われてしまったようです。新たな、開かれたお寺を、共同墓によって復興できないものかと考えています。
 ひとりひとりが、自分の死後について向き合うことが必要に思われます。見栄や固定観念で短絡的にお墓を建てる時代ではなくなりつつあります。もちろん、お墓を建てるなということではなく、信念の問題です。無縁墓を増やさないためにも。
 無縁墓は実際のところどうなっているのでしょう。私の両親が御参りに通っていたお寺では整然と並べられ、清掃され、定期的に供養されていました。しかし、お寺や石屋さんの裏手に山積みになっていたり、あるいはクラッシャーにかけられ産業廃棄物として処理されたりということも少なくないのです。お寺や石屋さんにとっても、無縁墓は扱いに悩む存在なのです。

 私にできること。最近そのことを考えて行き着いたもののひとつが無縁墓の加工でした。墓相学上はタブーとされています。心情的にも、霊的にもその行為はなかなか手を出せる人がいませんでした。実際無縁墓を敷石として用いたお寺もあるとは聞いていますが少数でしょう。私が考えるに、意味合いなんだと思います。敷石にする、つまり今まで拝まれていたものに対し、それを手前勝手に地中に埋めてその上を土足で歩く。不遜で不敬であるという想いがあるかと思います。しかし、考えようによっては、我々は毎日、様々な動植物を殺し刈り取って、その上で生きています。いただきます、ごちそうさまでしたという感謝の言葉を添えて。なにかそれに似てるなと思いました。我々は自分の血統、先祖のほかに、その地域に脈々と生きてきた先達のおかげで今の生活があるといえます。そのことを心にとどめ、感謝の念を忘れなければ、無縁墓は敷石として生きてくるのではないでしょうか。そういった考えのもとで、無縁墓の加工をしようという覚悟が芽生えました。今は神仏を彫ろうかと考えています。観音様や地蔵様、七福神、五百羅漢など。これらをひとり手彫りで制作することができないものかと。これらをひとり手彫りで制作することができないものかと。
 円墳墓のような共同墓をつくり、その上にそれらの神仏をお祀りするといった案など、今はいろいろと考えているところです。


 無縁から縁を生ずる。
この言葉が降りてきたように感じます。



・コミュニティを前提とした共同墓の確立
・無縁墓の加工


この2つを自分の生活も考慮した上で、今後の活動として考えています。
心あるお寺さんとのご縁をお待ちしています。